煙たい関係
もともと猜疑心が強い孫権なので、張昭が赤壁で降伏を説いたことは、かれへの不信感を決定的なものにしてしまいました。
のち、孫権が群臣の前で、赤壁での戦いを勝利に導いた周瑜や魯粛を褒めたたことがありました。
「かれらがいたから、いまのわたしがあるのだ」
張昭はそれを聞き、無邪気に賛同のことばを述べようとしたのですが、孫権の次のことばを聞いて、固まってしまいます。
曰く、
「張昭の言うことをきいていたなら、いまごろ人さまから食べ物を恵んでもらう立場になっていただろう」
ショックを受けた張昭。突っ伏して、冷や汗を流したそうです。
孫権としてはしてやったり、といったところでしょう。
しかし張昭は負けません。
かれにはかれなりの正義があり、気骨もありました。
張昭は軽率さのある孫権のふるまいをいさめ、政治を動かし続けました。
とはいえ、孫権はそれを感謝する気持ちより、あいつはうるさいやつ、と思う気持ちのほうが強かったようです。
張昭が煙たくてたまらない孫権ですが、その張昭は、厚いまごころをもって政治にあたったため、士大夫を中心に高い支持を受けていました。
それも孫権には面白くない原因です。
君主の座にあるのだから、張昭を政権から外す、ということも考えたでしょう。
しかし、孫権の脳裏には、名家中の名家であった陸一族を攻撃して、江東の支持を失いかけた兄・孫策の失敗があったのかもしれません。
同じ轍を踏んで、政権を不安定にさせるわけにはいきません。
丞相の地位をめぐって
緊張感のあるまま時がたち、孫権は関羽のかたき討ちにやってきた劉備を撃退ののち、うまく立ち回って、曹魏からも自立します。
そこで丞相を選ぼう、ということになったのですが、さて、だれがよいか、と家臣たちにはかると、みな言います。
「張子布どのがよろしいかと」
みなの意見なんか聞くんじゃなかった、と思ったかどうか。
聞きたくなくても聞かざるを得ない、その名を張昭。
しかし孫権は、それをはねのけ、孫邵(そんしょう)を丞相につけました。
その理由が苦しい。
「現在の多事にあたって、百官のとりまとめにあたる者の責任は重大だ。だからこそ、張昭を丞相の地位につけるのは、かれを優遇することにならない」
つまり、
「張昭が丞相としてうまくやれたらいいけれど、そうじゃなかったら、名誉に傷がつく、そういう危険もあるんだよ。だから、あえて地位につかないほうがかれのためじゃないか」
ということ。
しかし、張昭は面白くなかったことでしょう。
張昭より年下の孫邵は、孫権の一族ではありません。
なんと、劉備の家臣である孫乾の親戚。
しかも詳しい事績がわからない(呉書のなかに伝が立ってない)人物でもあります。
なんで丞相という高い地位にいながら、その事績が伝わっていないのかについては、派閥争いの余波らしいのですが、ややこしいので、ここでは割愛します。
孫邵はしかし、すぐに亡くなってしまったので、また新しい丞相が必要になりました。
孫権は家臣たちに、また尋ねます。
「だれがよかろう」
答えは決まっています。
「張子布どの!」
しかし、こんどは孫権は練った答えを言いました。
「わたしは張昭に地位を与えるのを惜しんでいるわけではない。ただ、丞相の地位というのは仕事が多く、しかもあの人は性格が剛直だから、意見が通らなければ、感情的な行き違いがおこるだろう。かれのためを思えばこそ、丞相の地位につけないのだ」
思いやりを示しているように聞こえますが、
「張昭の性格からすれば、なにかあったときに感情的になって、仕事が止まるよ。それじゃあ困るでしょ」
とも言っている。
家臣たちは思い当たる節があったのでしょう。
孫権を論破できるものはおらず、顧雍(こよう)が丞相になりました。
張昭、またしてもガッカリ。
しかし、一方で、孫権は期待の皇太子・孫登の学友に、張昭の息子・張休を選ぶなど、配慮も見せていました。
ですが、この出来の良かった皇太子は、早逝してしまい、孫呉を大混乱に陥れた二宮事件につながっていくのですが、それについては、また別の機会に。
それよりも、さらに抜き差しならぬ事態が起こってしまい、孫権と張昭の間は、険悪になってしまうのです。
さて、これから二人はどうなってしまうのか?
後編につづく……
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